【感情メモ】コロナがもたらした「山の楽しみ方」と「山に対する気持ち」の変化

2020年9月15日

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いまさら感あるが、なんか最近改めてこう強く感じるようになっている。

「あー、山ってほんといいな。」

自分で書いてて、なにをいまさら、と自分でいま思ったけど(笑)

今年はコロナでエントリーしていたレースがすべてなくなった。ここまで全滅すると思わなかったし、ここまで長引くとも思ってなかった。

先週の安達太良50kなんかは久々にレースを目一杯楽しむ参加者の充実した笑顔とその投稿をみて「やっぱりレースもいいな」という気持ちになったけど、いまのところ年内はレースへの参戦予定はない。

山を楽しむ軸足が「レース」から「遊び」に変わった

例年であれば、季節関係なく毎月何かしらのレースに出ていたので、山猿家で年頭に立てる「年間山計画」も当然トレランレースを軸にしたものとなっていた。

しかもうちはロングレースがメインなのでレース前後2週間はアクティブな予定はなかなか入れらない。市民ランナーといえどレース前はコンディションを整えていく必要があるし、市民ランナー故にレース後はそれなりのダメージがあり疲弊する。さらに、ターゲットが100㎞クラスの超ロングレースであれば、いかに僕がのほほんとやっているようにみえても、一応数ヶ月前から意識してトレーニングは積んでいったりする。

なので、レース前後の"山遊び"はどうしても自重せざるを得ない。

そうすると、トレランとは違った山の楽しみ方と個人的に感じている「縦走」や「ファストパッキング」などは、年に3~4回の大型連休(年末年始、ゴールデンウィーク、夏休み、シルバーウィーク)あたりに組み込むのが関の山。

僕的には「キャンプ」なんかもこのカテゴリー(=トレランとは違った山の楽しみ方)に入るんだが、いかんせんそんな"ぬるい遊び"を頻繁に予定に挿し込めるほどうちの相方は甘くない。(あ、相方もきっとキャンプ自体は嫌いではないはずw)

もともと「競争」があんまり好きではない

本来僕は"競争"が好きではないので笑、レースはレースでやりがいは感じるものの正直性に合わない。これまでの人生を振り返ってみても(たったいまザザッと振り返った感じ)、サッカーをメインにいろいろやってきたけど、たぶん「闘争本能」のようなスイッチは僕にはなかった気がする(笑)

いまだから言えるけど、勝っても負けてもあんまり感情に大きな動きはなくて、引退試合も最後負けたんだけど涙は出なかった。努力していなかったわけではない。サッカーが心底好きでないと大学4年間をわざわざ体育会の部活に身を置かないだろう。でも勝ち負けよりも、僕は純粋に「体を動かす」ということに喜びを見出していた気がする。

だから同様に、もちろん「トレラン」が嫌いというわけではない。ガチンコバトルになりがちなショートレースが苦手なだけで、皆さまご存知の通り、トレランの本質は「競争がすべてではないよ」という懐の深さである。それがあったから僕はきっとトレランにハマった。

且つ、僕にとってのロングレースは"競争"ではなくもはや"旅"なので、競争とは質が違うし求めているものも違う。だから、僕はロングレースが好きになった。

逆に、ひたすら自分を追い込んで走らないといけない(感じの雰囲気になる)ショートレースはやっぱり苦手だ。普通に苦しいし、山を楽しむ「暇」も「余裕」もない。

何が言いたいかというと、今年は「めちゃくちゃ山で遊んでいて、楽しい」ということ。

もっぱら山行スタイルは「ひたすら歩き(走らない)」

山猿家の最近の山行スタイルはもっぱら「ひたすら歩き」である。ほとんど走らない。(まぁ歩きっていっても「早歩き」だけど)

まったく走っていないわけではないのだけど、ここ最近だと走ってるのはリアルに「1割」ぐらいだと思う。他はすべて歩いてる。登りはもちろん歩くし、フラットなところでもほぼ歩き。

走ってるのは、「時間に追われているときのくだり」と「気分が良いときのフラットとくだり」のみ(笑)そんなもんだ。ただし、いかんせん「歩く速度が速い」のと「休憩が少ない」ので結果的にはコースタイム比50%とかになってはいるが、その実ほんとに走ってない。(格好がトレランスタイルなので、すれ違うハイカーさんからすると完全に「トレランの人」と思われているけども)

こんな感じの山行を去年までは年に3~4度楽しんでいた。そのぐらいの頻度でも十分に「トレランとは違った山の楽しみ方」を楽しめてはいた。…のだけど、今年は思いがけずこんなことになったもんだからもう毎週そんな感じで山を楽しめちゃうことになってしまった。

トレランっていうかもはや「山が好き」。

ここで、はっきり宣言しておこう。宣言というか、僕の心のなかに灯ってしまった押さえきれない気持ちをここに改めて吐露しておく。

『 僕は山が大好きです。』

(なんとなく色を緑にしてみた)

っていうかこれ、どこの小学生の作文ですかって感じなので、文章レベルを中学生にまで一段階引き上げよう。

『僕は、「トレランが大好き」から、「山が大好き」に変わりました。』

いかがだろうか。「だからなんだよ。」とか寂しいことは言わないでほしい。

とにかく「山が大好き」になってしまった気持ちを素直に表現してみたが、僕はもともとトレランから山に入った人間だ。トレランを始める前は山に行った記憶がない。そんな僕を山に引き合わせてくれたトレランには大大大感謝なのだが、僕の気持ちは、当初のトレランLOVEからもはや「山LOVE」へと変貌を遂げている。

ずーっと前からトレランを通して山は好きだったんだけど、会えば会うほどに違う魅力にも気付いてしまって、もっと好きになってしまった。こうなるともうたぶん一生離れられないと思う。

ちなみにもう一度書くけど、『「トレランが大好き」から「山が大好き」に変わった』ので、これはつまり、例えば大怪我をしてもうトレランができませんってことになったとしても「僕は全然大丈夫です」ということなのだ。

要は、もし山を走れなくなってもそれはそれでOK、ゆーっくり山歩きができればそれでいい、山の清々しい空気の中に身を置くことができればそれでいい、ってぐらい僕は「山の魅力」の虜になっている。

山との出会いが大人になってからでよかった。

ところで最後、話はがらっと変わるけど、「山と出会うのが大人になってからでよかった」と思う。

もし小さい頃もしくは学生時代からでも山にハマっていたら、山を純粋に楽しむ今の間隔とはたぶんちょっと違う方向にいっていた気がする。

具体的には、山に疲れて(飽きて)まったく他のことに興味を示すか、山を愛しすぎて仙人みたいになってるか、はたまた山に突き進み過ぎてエベレストとかで命を落とすか、たぶんそんなところ。

大人から始めた趣味は長続きするっていうけど(言わない?)、いい塩梅で山と付き合えている今ぐらいがちょうどいいのかもしれないと感じている。(まぁこれから先、もっとどっぷりハマっていって、結局仙人みたいになってるかもしれないけど笑)

2020年9月 後立山連峰・鹿島槍ヶ岳アタック

というわけで、レースがすべてなくなった今年も山にはしょっちゅう行っていてさらに山が好きになっています、というご報告でした。笑