【エントリー完了】世界的登山家・山田昇に敬意を込めて「上州武尊山スカイビュートレイル70(9月23日)」
先日の「FunTrails 100K」のエントリーに引き続き、もう一本ロングにエントリーしました。
「上州武尊山スカイビュートレイル70」
※「FunTrails 100K」の記事はこちら↓
【調子にのってエントリー完了】年内にもう一本100㎞いっとこう!「FunTrails 100K Round 秩父&奥武蔵」
実際は距離75㎞、累積標高約4500m以上。
100㎞以上を「ロング」と定義するならこの距離は「ミドル」なんでしょうかね。まぁ僕にとってはまだまだロングです。…ていうか、普通に考えてロングですよね。75㎞ですもんね。危ない危ない、だんだん感覚がおかしくなってきてる。
このレースを選んだ理由は特にはないんですが、あえていうならば、相方がトレランの雑誌を見ていて「これ出たい」とこのレースのページを見せてきたんですよね。
で、「上州武尊」という字をみて、僕はこれを
「じょうしゅう”ぶそん”」
と読みまして(笑)
それ以来「ぶそん、ぶそん」とことあるごとに言われ続け…
そんなこんなでこの度「じょうしゅう”ぶそん”スカイレース」にエントリーするに至りました(どんなこんなだ)。
「武尊」。
・・・
どうみても「ぶそん」でしょ。
「ほたか」とか読めるかっての!
というわけでレースについての諸々を少しばかり。
ちなみにエントリー明日(6月10日)までですよ!
- 1. 上州武尊山スカイビュートレイル
- 2. コース図
- 3. ちなみに「山田昇」って⁈
- 3.1.1. 1978年にダウラギリに登頂して以降、世界の高峰に次々と登頂成功させる。 8000メートル峰14座のうち9座に12回登頂(うち5座無酸素登頂)、その多くを冬季や未踏の難ルートからの登攀で達成した。 8000メートル峰9座登頂は、名塚秀二、田辺治、近藤和美と共に、全14座達成の竹内洋岳に次ぐ日本人2位の記録[3][4]。 1989年、冬季マッキンリー登攀中に、不慮の遭難死を遂げた。1989年当時、8000m峰14座を完登していた登山家は、1986年秋に達成したラインホルト・メスナー(42歳・イタリア)と、翌1987年秋に達成したイェジ・ククチカ(39歳・ポーランド)のみで、山田昇は9座登頂で世界3番手につけていた[5]。
- 3.2. 上州武尊スカイビュートレイルと山田昇
- 3.2.1. 1990年、山田昇の功績を顕彰して、武尊山において10Kgの負荷を背負って競う『山田昇記念杯登山競争大会』が設けられた(毎年9月最終日曜日開催)。 2009年までに20回開催されたのち、2011年よりトレイルランニングのスタイルで競う『上州武尊山スカイビュートレイル』としてリニューアルされた。 2014年にはさらに『上州武尊山スカイビューウルトラトレイル』としてリニューアルされ、3部門(「川場村山田昇メモリアルカップ」「みなかみ町スカイビュートレイル60」「片品村スカイビュートレイル30」)に分かれて開催されている[13]。
上州武尊山スカイビュートレイル
カテゴリーは3つ
まず前提として、この大会には距離ごとに3カテゴリーがあります。
「120」「70」「30」の3つ。
そして、それぞれ正式名称が異なっていて、
- 「120」→「第4回 川場村 山田昇メモリアルカップ120(山田昇杯)」
- 「70」→「第4回 みなかみ町スカイビュートレイル70」
- 「30」→「第4回 片品村スカイビュートレイル30」
となります。
僕がエントリーしたのは真ん中の「第4回 みなかみ町スカイビュートレイル70」。
川場村とか片品村とか、なんやら某宗教組織を思い起こさせる地名ですが、まぁそれは置いといて^^;
各カテゴリーの距離と累積標高は以下の通り。
- 「120」→ 約129km、累積標高差 約9200m以上
- 「70」→ 約75㎞、累積標高差 約4500m以上
- 「30」→ 約32km、累積標高差 約1,800m以上
これを山猿独自指標である「つら度(累積標高÷距離)」で算出すると、
※「つら度」についてはこちらをご参照。
【レースレポート②】いまさらレースの「つら度(難易度)」を分析してみる(トレニックワールド 100km in彩の国)
- 「120」→ 累積標高9,200m ÷ 距離129km =「71.32」
- 「70」→ 累積標高4,500m ÷ 距離75km =「60」
- 「30」→ 累積標高1,800m ÷ 距離32km =「56.25」
先日のトレニックワールド100kが
累積標高5,945m ÷ 距離106km =【56.08】
だったので、
ほぉー、これはどれもなかなかしんどそうですね(笑)
後ほど触れますが、上州武尊スカイビュートレイルは、元々は「山岳レース」として始まっている大会です。途中から「上州武尊スカイビュートレイル」と名前を変えて、トレイルランの大会として生まれ変わりましたが、登山(しかもガチ登山)がベースなんです。
要は「山岳協会」が主催の大会。あくまでイメージですが、「山岳協会」が主催となると「険しさ」が増す感じがします…。
コース図
70kのコースはこんな感じ。
※マップをクリックするとPDFファイルにリンクします。
ちなみに120kはこちら。
※マップをクリックするとPDFファイルにリンクします。
120は変態ですね(笑)
そして、地図をよく見るとわかりますが、1㎞ごとに数字が振られてるんですね。(120用にしか振られてないけど…)これはいいですね。70用も用意してほしい。。
ちなみに「山田昇」って⁈
120のカテゴリーの正式名称「山田昇メモリアルカップ120(山田昇杯)」に付いている「山田昇(やまだのぼる)」。
よく聞くけど詳しくはよく知らない(=僕)、もしくは、そもそも誰?という方のために、ちょっと調べてみました。
こんな人↓
見るからに、THE・登山家という感じですが、一言でいうならば「”世界的な”登山家」です。
以下、Wikipediaより抜粋。
1978年にダウラギリに登頂して以降、世界の高峰に次々と登頂成功させる。
8000メートル峰14座のうち9座に12回登頂(うち5座無酸素登頂)、その多くを冬季や未踏の難ルートからの登攀で達成した。
8000メートル峰9座登頂は、名塚秀二、田辺治、近藤和美と共に、全14座達成の竹内洋岳に次ぐ日本人2位の記録[3][4]。
1989年、冬季マッキンリー登攀中に、不慮の遭難死を遂げた。1989年当時、8000m峰14座を完登していた登山家は、1986年秋に達成したラインホルト・メスナー(42歳・イタリア)と、翌1987年秋に達成したイェジ・ククチカ(39歳・ポーランド)のみで、山田昇は9座登頂で世界3番手につけていた[5]。
なるほどー、すごい方ですね。
それにしても、8000m峰の山を登るっていうのはどんな感じなんだろうなー。ロマンなんでしょうねー。将来的にやりたくなるのかなー。
上州武尊スカイビュートレイルと山田昇
こちらもWikipediaより。
1990年、山田昇の功績を顕彰して、武尊山において10Kgの負荷を背負って競う『山田昇記念杯登山競争大会』が設けられた(毎年9月最終日曜日開催)。
2009年までに20回開催されたのち、2011年よりトレイルランニングのスタイルで競う『上州武尊山スカイビュートレイル』としてリニューアルされた。
2014年にはさらに『上州武尊山スカイビューウルトラトレイル』としてリニューアルされ、3部門(「川場村山田昇メモリアルカップ」「みなかみ町スカイビュートレイル60」「片品村スカイビュートレイル30」)に分かれて開催されている[13]。
今回僕は10㎏の荷物を背負わされることはございません。ふー。
こんな歴史ある大会なんですね。2000m峰の絶景に期待しつつ、(あまり知らないけど)山田昇氏に敬意を払いつつ、「重み」を感じ取りながら相方と二人、走り切りたいと思います。
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