UTMF、時系列振り返り。今回からいよいよレースに突入する。できればフィニッシュ地点である河口湖大池公園までを書きたかったが、それはもう叶わない。ただ、それでも114㎞の道を進んだのだ。書けることはたんまりある。
道中感じていたこと、刻々と変わる状況の変化などをお伝えできればと思う。
ちなみに本当はこの「参戦記③」でレース中のレポートはすべて終わらせる意気込みで書き始めたのだが、意気込みが強すぎたのか、A2麓までしか到達できなかった笑。
でもこれだけ詳細に状況やら感情やらを書いている選手もあまりいないと思うので、この際割り切って、この調子のまま思う存分自己満足の文章を文字数たっぷりでお届けしたいと思う。
読むのに疲れたら一度箸を置いて、翌週末に持ち越していただいて構わない。
コース情報等のおさらい
まずは事前情報として、公式HPより「コースマップ」「高低図」「進行表」のおさらい。(※「進行表」のなかの緑色のエイドはサポートエイド)
▼コースマップ
▼高低図
▼進行表
それでは山猿夫婦のUTMFストーリー(猿視点)、レポートスタート。
S(富士山こどもの国)~W1(粟倉)【0~16㎞】
スタート直前
4/27(金)11:30、待ちに待ったUTMFの旅のスタートまであと30分。仲間たちとスタート前の記念写真を撮りながらお互いの健闘を誓い合う。みんな最高の笑顔だ。我らがサポーター”ネムさん”とも「まずはA2麓で!」「うす!行ってきます!」と固い握手とガッツポーズを交わす。
スタート10分前、六花さんともう一名の奏者によるUTMFのテーマの生演奏。否が応でもテンションが上がる。やばいやばい、長い旅の前だ、平常心平常心。
天候は小雨交じりのどんより空だが、先程スタート30分前まで降っていた本降りの雨に比べたら全然マシだ。走り出してしまえば多少の雨は気にならなくなる。
スタート時の位置取りは特に意図せず、なんとなくその場所にいたという理由で後方に位置取る。元々「序盤は抑えて抑えて」の作戦なので前に行く必要性もなく、まぁいいか。
※後日談として、今回のレースのひとつのポイントとなった「渋滞」について(詳しくは後ほど)、渋滞回避のためにスタート位置を前に取るべきか、については「特に不要」と感じる。粟倉までの16㎞はひたすらロードなので、スタート地点で前にいなくても十分に挽回可能なため。ただし、スタート後もずっと後方を走っていると、その後の「大渋滞」の餌食になる。僕らはスタート後もとにかく抑えて進み、ずっと後方を走っていたので見事にその餌食となった。大きな反省点。
いざ、スタート
スタートゲートに2400人が一気に集中するもんだから、朝の山手線並みの大混雑。もはや流れに身を委ねるのみ。押し潰されながらスタートゲートを通過。ザックに入れていた補給用のたまごバンは、スタートゲートをくぐるこのタイミングで、すでにペチャンコに潰されていたであろう。
スタートゲートの混雑から解放されると、その先しばらくは沿道左右に多くの人たちが連なっていて、「いってらっしゃーい!」と最高の笑顔で送り出してくれる。その中から知り合いを発見してはお互いに満面の笑み。なんとかサポーターも発見し、再度ガッツポーズでA2麓での再会を誓う。
さて、いよいよレースが始まった。
W1(ウィーターエイド)粟倉まではひたすらロードを16㎞。下り基調だが、ここで飛ばすのは厳禁だ。周りの選手につられてペースが上がらないように予定通りのペースで進む。”ちゃんぷの教え”である「繋ぎのロードは走るのではなくエネルギーロスなくスーッと”転がる”イメージで」を意識しながら淡々と進む。
W1(粟倉)~A1(富士宮)【16~23㎞】
ここからは、まず冒頭に各エイドごとのデータを掲載していく。予定タイムと実績タイム、そしてその差異(タイムについては、エイドINとエイドOUTの両方をそれぞれ記載)。エイドにどれだけ滞在していたか、なども振り返ってみるとけっこう面白い。併せて、「通過順位」の推移も是非見てほしい(これは単に自慢したいだけ)。
【W1粟倉データ】 ※W1はOUTのみ記載
予定時刻(OUT):14:13
実績時刻(OUT):13:58(差異:▲15分)(※「▲」=予定に対する貯金)
レースタイム:1時間58分
通過順位:1958位
W1粟倉到着
W1粟倉到着。ここはウォーターエイドなのでドリンクのみ補充可能。
予定時刻に対し15分の貯金。貯金を作ろうという考えも特になかったが、別にペースを上げたわけでもないのでほぼ予定通りで問題なし。ロード区間且つ序盤でまだまだ元気とはいえ、事前に決めたタイミング(45分~60分に一回)で補給はしっかり行った。この先も補給タイミングを忘れないようにせねば。
尚、今回スタート時のドリンクは、メダリストのクエン酸粉末を溶かしたクエン酸ドリンク×1と麦茶×1、それぞれをソフトフラスクに入れてスタート。今後のエイドではメダリスト飲料が提供されるので基本はそれを毎回補充していく計画だ。
まだまだ先は長い。5分弱のエイド滞在ですぐに出発。
A2富士宮まで 最初の渋滞
粟倉から富士宮までは送電線沿いにほぼフラット時折アップダウンのあるトレイルを進んでいくのだが、ここでまず本日一発目の渋滞に捕まる。まぁ一発目も何もこの後から断続的な「大渋滞」になるのだが。
ひとまず受け入れざるを得ない現実として、こんな序盤で予定から大幅な遅れが発生したということ。このタイミングでのこのレベルの渋滞は正直予想していなかった。渋滞の最中は前後にちゃんぷ練の仲間たちが一緒で喋りながら過ごしていたため退屈さとは無縁だったが、いずれにしろ痛いのは痛い。
途中、現在の順位を仲間がライブトラックで確認したところ、だいたい1900番台後半にいるとのこと。かなり後方集団だ。後半でバンバン追い上げられる自信があったので特に焦りはなかったものの、それにしても後方集団に自分たちがいたので(しかもペースを抑えたとはいってもそれなりにちゃんと走った)、「みんな飛ばし過ぎだよね」などと話しながら進む。
尚、この時間帯も雨は降ったり止んだりの繰り返し。雨足も強かったり弱かったりで、レインの脱ぎ着を何度か繰り返しながら進んだ。
A1(富士宮)~A2(麓)【23~51㎞】
【A1富士宮データ】
予定時刻(IN):15:09
実績時刻(IN):15:53(差異:+44分) (※「+」=予定に対するビハインド)
予定時刻(OUT):15:19
実績時刻(OUT):16:00(差異:+41分)
累積時間:(IN)3時間53分 (OUT)4時間00分
通過順位:(IN)1915位 (OUT)1903位
A2富士宮到着
A1富士宮には予定より44分遅れで到着。W1粟倉では15分の貯金があったので、それも加えると差し引き「1時間の渋滞」に捕まったことになる。完走目標タイムが制限時間ギリギリの設定ではないのでこのぐらいの遅れはまだいかようにでも吸収できるのだが、なんだかなーという感じ。
そして当然ながら思ったのは、この区間でこれだけの渋滞になるということは、これから登る先の山塊(天子山地)ではさらなる渋滞になることが予想されるということ。
富士宮は滞在予定10分のところ、少しでもタイムを縮めようと7分で出発。(焦っているわけではないが気持ち的に)
富士宮出発時、サポートと下記メッセージをやり取り。
4月26日 16:01
猿:「富士宮出発しました!渋滞による遅れなので身体的トラブルはなしです。
サ:「了解です。かなり渋滞激しいみたいですね。天子サクッと抜けちゃって下さい!
ほんとに天子サクッと抜けたかった…
天子山地突入、そして大渋滞の始まり
富士宮を出発してしばらく行くとようやく「山」へ突入する。前半の山場「天子山地」だ。以前、ブログで天子山地について触れたとき、「てんしさんち」をPCで変換したら「天使産地」と出てきて、「天使を生み出す場所か…」と一人勝手にウケて笑っていたことを思い出す。
…というどうでもいい話はさておき、ようやくの山パートである。今回初めてUTMFを走ってみて思ったが、とにかくロードが多い!山と山の間をロードで繋ぐのは致し方ないのだが、そのロードがけっこう長い。5~10㎞近くなんてザラだ。このロードをどのように進めるか(歩いてしまうのか走れるのか)はUTMF攻略の大きなポイントであろう。
とにもかくにも「得意ゾーン」への突入である。富士宮までもトレイルはあったが、あれは「山」ではない。「登りの女王」を要する山猿チームが本領を発揮できるのはここからだ。前述の通り、ある程度の渋滞を予想しつつも、まぁそれも「ある程度」だと高を括り、いざ出発。
しばらく進んでようやくトレイルに入ってきたところで早速渋滞。「え、もう?」と思いつつも、こればかりは仕方ないのでこれからの登りに備えて補給などを済ませつつ、渋滞に並ぶ。
ここからが地獄の始まりだった。
とにかく途切れない渋滞。ちょっと進んではすぐ止まる。またちょっと進んではすぐ止まる。一向に走れない。走れないどころか全然進まない。本当に進まない。
日も沈み徐々に暗くなってくる。ヘッドライトを点灯。連なったヘッドライトの灯りがひたすら前後のトレイルを埋め尽くす。ノロノロ行進のままあっという間に20分、30分と時間が過ぎていく。ひどいときは10分以上まったく動かない状態なんてのもあった気がする。
断続的に降り続いている雨によりトレイルは予想通り(予想以上に)ぐちゃぐちゃ。渋滞に並びながら途中相方とも話したが、「この渋滞、熊森のくだりまで絶対ずっと続いてるよね?」と。つまり、ここから先4、5㎞は続いているということ。
でも、それは容易に想像がついたし、かなりの確率で現実的な話だった。
ただでさえ、天子山地の登りはそれなりにキツイので、たとえコンディションがドライであっても渋滞はするはず。それがウェットのコンディションで足元はぐちゃぐちゃとなったら難儀するのは間違いない。且つ、ウェットなコンディションのときに登り以上にさらに難儀するのは「下り」だ。
今の渋滞の大元は間違いなく熊森からの下りから続いている…
ちなみにこの日は雨に加えて、昼間からかなりの濃霧でそれは夜になっても続いた。ひどい時の視界は先5mあったかどうか。ヘッドライトが乱反射してもはや逆に見づらい。限りなく視認性は悪く、足元の確認にも難儀するほど。かなりのストレスになった。
熊森山からの地獄の下り
その予想は間違っていなかった。実際に対面した熊森の下りは、何人もの選手が通過したことによりさらに耕され、ツルツルどころではない悲惨な状態。”滑り落ちる”しか方法がないぐらいのドロドロツルツル。実際僕も何度も滑った。枝を掴みながら慎重にいっても滑る。斜面に生えている木に向かって滑り落ちては木にぶつかりながらストップし…の繰り返し。
実は天子山地の登り区間では、渋滞で動けない状態に雨による冷えも手伝い、軽い眠気に襲われていたのだが、熊森の下りで思いっ切り滑って後頭部を強打し、それを機に一気に目が覚めたというのはここだけの話。
これも含めてUTMFか。なかなか手強い。
ちなみに僕らがいた「ボリュームゾーン」の選手たちにとって、この天子山地はナイトパートとなるのだが、渋滞+雨+夜のトリプルパンチは容易に選手たちの体温を奪っていった。標高は1000~1500mぐらい。4月下旬とはいえ、夜中の山は普通に寒い。動けていればまだ体温を維持できるのだが、渋滞で動けないので、ただただ雨に打たれるしかない。
明暗を分けたのはこのときの各選手の対応である。
この時に、持っている装備から「最大限の防寒」の動きを取り遅れた選手はそれが命取りとなった。低体温症だ。一度濡れた体はなかなか元には戻らない。どんどんと寒くなる。
この時の対応の遅れにより、このあとの「麓」もしくは「本栖湖」でリタイアを余儀なくされた選手も多くいたと思う。(本栖湖エイドでは救急車の音がしていたので、おそらく低体温症の選手が運ばれたのではないかと思う)
僕自身も渋滞の最中、途中から寒気に襲われていたが、早い段階でレインの下にインサレーションを着たことで保温力が回復。寒気もなくなり事なきを得た。
暑さに対しても寒さに対しても、トレイルランニングにおいては、体温の細かな調節(且つ素早い対応)が大切であることを身に染みて感じた経験となった。
そんな状況の天子山地をようやく降りたのは、予定より大幅に遅れた22時前。体は元気満々だが、精神的なダメージがやはりある。麓エイドで待ってくれているであろうサポートに一言”嘆きのメッセージ”を入れ、取り急ぎ生存報告。
4月26日 21:57
猿:熊森ようやく降りてロードに入りました 泥沼悲惨…
サ:了解です。準備万端です。外出る境目にいます。みんな足元ドロドロでヤバそうです。
4月26日 22:45
猿:あと2.3㎞です
サ:(いいね)
エイドまであと2.3㎞。早くサポートの待つ麓に到着したくて、淡々とロードを走り続ける。ちなみに、残りの2.3㎞もすんなりとはいかず30分以上掛かってしまい、サポートには心配を掛けた。
参戦記④につづく。
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