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【分水嶺トレイル2019 参戦記③】「諦めない気持ち」の先にあったもの。

レポート第2弾は今回のレースでの学びについて。

ロングレースに出る度にいろいろな学びがあるが、今回はとりわけ「大きな学び」だったのではないかと思う。

▼レポート第1弾はこちら

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目次

弱い自分

今回のレースでは、もろに「自分の弱さ」が顔を覗かせた。まさか自ら「リタイア申告」をすることになろうとは。

事の顛末は以下の通り。

レース2日目になぜだが体調を崩した。登りに入るとすぐに足に乳酸が溜まり、とにかく足が重い。全然足が前に出ない。少しでもペースを上げると心拍が異様に上がる。ん?疲れ?高山病?なんだ??

眠気はあるが、幸い頭痛はなく意識もはっきりしている。気持ち悪さもない。とにかく足が重いのと、心拍コントロールが効かない。長い登りを一気に登り切れる気力もなく、度々休憩を挟む。

2歩に1回の頻度で大きく息を吐き、その呼吸をベースにしてなんとかリズムを維持するが、その歩みは亀の如し。

フゥーッ!フゥーッ!という呼吸の仕方とそのボリュームから明らかに”しんどそうな人”そのものだったので、僕の前後の人はさぞかし「あ、彼はそろそろ限界だな」と思ったことだろう。

そんな状態だったのだが、あまりにも不甲斐ない自分と、このままだと本当にいつまでも遅々として先に進まない、と一念発起して、一度国師ヶ岳の急登で一世一代の攻めに出た。

このとき相方はすでに遥か先におり視界には見えないのだが、追いつけ追い越せと言わんばかりの全力アタックだ。集中して、フゥーッ! フゥーッ! と必死に息を吐き(つまり必死に吸い)、一気に山頂を目指した。

結局相方に追いつくどころか背中さえ見えないままにこのアタックは終了したのだが、この「捨て身のアタック」により、完全に気力・体力ともに使い果たした僕は、その後一気に体調を悪化させた…笑

しかも、決死の思いでアタックしたこの急登は、なんとピークよりまだまだ手前の「似非ピーク」であり、その後「リアルピーク」までゆうに数百メートルはあったというオチつき…(山道の数百メートルは長い)。

HPほぼゼロの状態でのリアルピークまでの道のりは異様に辛く、ようやく行き着いた山頂では、もしかしたらいるかもしれないと期待をかけた相方はまたもやおらず(山頂での停滞はすぐに体温低下するので致し方なし。それほどビハインドしていていたということ)。

早く追いつかねばという気持ちとは裏腹に10分程死んだように目を瞑り、わずかながら体力・気力の回復を図った。目を開けてからは補給食を水で流し込んだ。

そんな状態のまま、その後も降り続く雨に加えて、ナイトパートになってからの盛大な道迷いなどもあり、2日目のテントサイトに命からがら辿り着いた時には、僕の心の中では「もうリタイアしよう」という気持ちが8割方を占めていた。

冷静に体調を分析すると、どうしようもならないほどではなかったので、”再奮起”すればまだいける状態ではあったが、自力で”再奮起”するほどメンタルも強くなく、「これ以上進むのは危険だ」と勝手に気持ちにブレーキをかけて、”リタイアに向けた気持ちの整理”を都合よく進めていた。

気持ちはほぼ折れていた。

再スタートまでの葛藤

話を端折って、「再スタート」まで一気に話を飛ばす。

この後2時間の仮眠をした後、結局、僕は「再スタート」を切ったのだが、そこまでには自分の弱さと対峙せねばならない時間があった。

余程疲れていたのだろう、一度睡眠状態に入ってからは一度も起きることなくぐっすり2時間深く眠った。

ちなみにツェルトを張ったタイミングでは雨は止んでいたのだが、仮眠から起きるとけっこうな雨が降っていて、ツェルトに当たる冷たい音が一気にテンションをダウンさせる。

いずれにしろ、「リタイアをするのに十分すぎる理由」が揃っていたのだ。

熟睡できて多少は回復したとはいえ、この体調でこの雨の中、あと10時間はさすがに厳しい…、これでリタイアしても誰も何も言わないだろ…、と都合のいい自己解釈が始まる。

ここで僕は相方に対して、正式に「リタイアしてもいいですか」と申し出た。

多少は僕の気持ちも汲んでくれたのか、”即答NG”ではなかったのだが、おそらく相方のなかでも「絶対に諦めない」という気持ちが固まっていたのだろう。まぁそりゃそうだ。UTMF程ではないにしろ、このためにそれ相応に準備をしてきたし、試走にも2回行った。

且つ相方の強みが存分に発揮できる「山岳系のロングレース」。一筋縄ではいかないクレイジーなレースだからこそ、これを踏破したら得れるであろう自信。

それらを手にするまであと20㎞というところにまできているのだ。そりゃ諦めたくない気持ちもわかる。でもこちらも、アスリートでもプロでもないし、怪我せず無事に帰ることが第一という「山での掟」を心の盾にして、なんとかリタイアしようとごねる(笑)

いくつかのやり取りを経てからの最終的な回答は以下の通り。

「雨の中せっかくここまで100㎞進んできた。残りはたったの20㎞。この後は天気も回復するらしい(実際は違った泣)し、行くよ。20分後に出発で!」

まさに有無を言わさぬお達しだった。

お達しが通知された後も、ツェルトに当たる冷たい雨音を聞きながら、なかなか意を決することができない状態が数分続いたが、さらにゴネてウダウダしていると「じゃあ一人で行くわ」となりかねない。それはさすがに悔しい。

僕の気持ちもいよいよ固まった。

幸いにも少し雨も弱まってきているようで、このタイミングでいくしかない。びしょ濡れのソックスとシューズに再度足を入れ、びしょ濡れ&泥のついたテントを同時並行で濡れながら片し(慣れていないので悪戦苦闘)、なんとかパッキングを終え、最後は”半強制的に”再スタートを切った。

そしてラスト20㎞を10時間かけて歩き抜いた。

前進するときには誰かの「一押し」がある

これは僕の人生を振り返ってのことだが、 ここで言いたいのは、 いつも誰かにこうやって「一押し」をしてもらいながら「支えられて」生きてきた気がする、ということだ。

「気がする」というより、事実そうであろう。考えてみれば当たり前のことなのだが、改めてそんなことに気付いた出来事となった。

単独参戦だったらあっさりとあのタイミングでリタイアしていただろう。

もともと僕は強い人間ではないし、見た目通りタレ目で基本穏やかで争いを避けるタイプだ。

楽天思考、ポジティブ思考、ポジティブ変換などを時に言い訳にして、ストイックに力強く突き進むことから逃げてきたことも自覚している。とはいえ、何事もバランスは必要なので、どちらかが良いということではないのだが、それを言い訳にして、”諦め癖”がついていないか。

よく言われることだが大人になればなるほど、周りからの叱咤激励(特に叱咤)は徐々になくなる。

そんな”甘やかされていく状況”の中でも何かを成し遂げていく人は、きっと当人が強い意志を持ち、そして、周りにそれを支えてくれる(一押ししてくれる)誰かの存在があるのだろうな、と思った。

つまり、周りにそういう存在がいる自分は、何かを成し遂げられる「可能性」があるということだ!(あ、得意のポジティブ変換始まった笑)

今回は小さな「達成」かもしれないが、成し遂げたことは事実。

人は弱くなったとき誰かの一押しや支えがないとおそらく前に進めなくなる生き物だと思うのだが、僕は今回進むことができた。 その裏には相方のあの一言があったことは間違いない。

実は今日僕は誕生日なのだが(イェーイ♪)、誕生日には産んでくれた母親を始め、自分の周りの人たちに感謝をする日と決めている。

ちょうどタイミングもいいので、相方にも感謝しておこうと思う(笑)

ありがとう。

繰り返し頭を反芻していたもの

文章はまだ終わらない。もう少しお付き合い願いたい。

レース中、眠気でぼんやりしながら、2日目の動かない体と戦いながら、微熱で明らかに体温が上がってフラフラしながら、自分を奮い立たせる意味でも、ちょくちょくと頭を反芻していたことがある。

それは、

「100マイルなんて走らなくたって人生は生きていけるけれど」

と題して、UTMF直前に書いた記事の内容だ。

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分水嶺は100マイルレースとは異なるが、「クレイジーさ」や「過酷さ」という点では一致する。

今回もご多分に漏れず、降り続く雨でハードな山行であったのと体調不良も相まって、道中「なんでこんなつらいことしてるんだろう…」と思うことが度々あった。

そんなとき自分で書いたこの時の記事の内容を思い出しては、「なんで」に対する「答え」を再度噛みしめ、気持ちを補充した。(それでも最終的にリタイア申告をしたのだから、僕という人間は悲しいかな弱いものである 笑)

頭を反芻していた内容の詳細は是非記事を読んでもらいたい。

「諦めない気持ち」の先にあったもの

長くなったが、最後にタイトルにも書いたこの点について、僕が感じたことを書いておきたい。

ここで伝えたいのは「達成感」とかその類のものではない。

確かに「達成感」はあった。フィニッシュゲートが見えたときのあのなんとも言えない感情は紛れもなく「達成感」であると思う。

今回はこのフィニッシュゲートに辿り着くまでに、僕は一度諦めかけたわけだが、なんとか歩みを再開し、その上でフィニッシュゲートにまで辿り着くことができた。

ここまで読んでおわかりだと思うが、僕の今回の「分水嶺トレイル踏破」は言うまでもなく自分の力だけでは成し得なかった。

「諦めない気持ち」なんて書くと、”その人自身の強さ”にだけ焦点がいってしまうが、僕が今回の”実体験”をもって感じたことは、それとは違う。

「諦めない気持ち」の先にあったもの。

それは「達成感」ではなく、巡り巡って「人への感謝」だった。

前述した「前進するときには誰かの一押しが必要」の内容とも少し繋がってくるのだが、要はこういうことだ。

諦めずに前進をしようとするとき、そこには誰かの一押し(支え)が必要で、その一押し(支え)があったからこそ、その人は何かを達成することができる。

なので、その人が何かを達成できたとき、その一押しをしてくれた人(支えてくれた人)への「感謝」がそこには生まれる、ということ。

今回の僕のケースでいえば、「人」というのはまず第一に「相方」に他ならないのだが、他にも道中助けてくれた方(この人の存在なくして今回の完走はあり得なかった!)、チャレンジを応援してくれた方など、多くの支えてくれた人たちが存在する。

悪コンディションのなか無事に120㎞を踏破できたことで、さまざまな方への「感謝」が自然と生まれた。

くどいようだがもう一度書く。

つまり何を言いたいかというと、何かを達成できたとき、そこには本人自身の努力があるのは間違いないのだが、その努力をする過程や達成するまでの過程のなかで、多くの人の支えや励ましや叱咤があるということ。

それらがあることで努力が継続でき、辛くなったときに首の皮一枚ギリギリ繋がって、ゴールにまでたどり着くことができるのではないか。

そんなことに気づかせてくれたことが、今回の大きな大きな学びだ。

人は決して一人では何も成し遂げられない。単独で何かを成し遂げる人もいるだろうが、それは稀有な存在と考えていいだろう。

大多数の人は誰かの支えや後押しや一言があってこそ、「達成」にまで辿り着ける。 (逆にいうとそれがなければ、達成には辿り着けない)

なんだか山岳縦走競技ごときで飛躍した話になっているだろうか。否、そんなことはない。僕は大真面目にトレラン、登山、縦走、山から、「人生において大切な何か」をいつも学ばせてもらっている。(他にもギアや補給など、好奇心をくすぐる学びも当然たくさんあるのだが)

「山における根性論」を美談にしてはいけないが、そんな中からもやはり、人として大切な、人を成長させるための「学ぶべきもの」が存在した。

分水嶺トレイルに参加してよかった。

諦めないでよかった。

道中声を掛けてくれた方々、SNSを通じて応援してくださった方々、その他主催・運営として関わってくださった方々、そして相方に、心から感謝します。

ありがとうございました。

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