2日目は一言でいうとかなりしんどい一日となった。
謎の体調不良により、登りで全く足が前に出ずに、リアル亀足。徐々に体も熱っぽくなってきて明らかに微熱発生。しかも、そんな状態で日が落ちてからの大ロスト…。ロストいうかもはや遭難。自分たちのいる場所がどこなのかわからなくなった。
正直リタイアも考えた。
その辺りの詳細はこちらの記事をどうぞ。
ちなみに、ただでさえレースの半分しか覚えてないのに、残りの記憶もかなり曖昧なものとなってしまっているが、はっきりと思い出せない分書けることが減って、逆に記事がコンパクトにまとまるかもしれない。
基本僕は文章が長いので逆に良いことな気がする。
(追記:そんなことはなかった笑)
では、いこう。2日目。
念のため再度、Day2該当部分の高低図を掲載しておく。
▼Day1はこちら
7/12 23:30 将監小屋出発(スタートから23時間半経過)
2日目のスタートは将監小屋。上の高低図の10㎞地点を少し過ぎたあたりだ。
将監小屋を出てすぐの「山の神土」。
これ、「やまのかんど」と読むのだが、なにやらいかにも神聖そうな雰囲気のある名称なのだが、ここからの数キロは曲者。
山の神土から雁峠にかけてはひたすら似たようなトラバースを繰り返す、通称「デジャブゾーン」。
途中、大規模な崩落個所が一箇所あり、そこを通過する際にデジャブからは一旦解放されるのだが、そこはそこで難所。
以前に比べればだいぶ修復されてはいたものの、夜中でマーキングの場所もなかなか見つけられず、 進むべき道がわかりづらい。
案の定、僕たちの前にいた2人組が立ち往生しており、合流。
「あっちですかね?」「いや、こっちかもです」「いや、やっぱりそっちで合ってますね」といったやり取りをしながらなんとかクリア。
その後はまたデジャブゾーンへと突入。
デジャブゾーンは、昼は昼で同じ景色が何度も現れて心が折れるのだが、夜は夜で、だいたい同じような周期で同じような動きを繰り返すことになるので、トラバースなので歩きやすいとはいえ、 その「単調さ」にやはり心が折れてくる。
加えて、仮眠後とはいえ熟睡できたわけではなかったので、デジャブの威力にやられて途中からは普通に眠かった気がする。
そんなこんなで水干(みずひ)には2時間程で到着。水干から少し行くと、雁峠(とうげ)だ。
晴れたときに行くとこんな感じ↓(2017年GWにいった奥秩父主脈縦走より)なのだが、今回は真夜中だったので、もちろん何も見えず。特に止まることもなくそのままスルー。
(本当は少し休憩したかったが、前に進む相方がその素振りすら見せないので黙々と付いていく他ない。苦しいところだ。)
今回のレースはこの写真より2ヶ月後の7月だったので、もっと青々とした景色が広がっていたのだろうか。それはそれで見てみたかった。
ちなみに雁坂小屋の手前には、日本三大峠の一つで「雁坂峠」が出てくる(後の2つは、北アルプスの針ノ木峠と南アルプスの三伏峠)。
ここも展望が開けていて、天気が良いときは、富士山・北岳・間ノ岳の日本の標高ベスト3が眺められるのだが、同じく夜に通過したので、展望も何もなし。
7/13 4:50 CP2 雁坂小屋(スタートから28時間50分経過)
雁峠を抜け水晶山を越えると、2つ目のチェックポイントに到着する。CP2は雁坂小屋。到着したのは4:50。
雁坂小屋ではありがたいことに室内にストーブがあり暖を取ることができた。
今回実戦投入したゴアテックスのレインは、降り続く雨でも浸水せずにその効果を実感していたが、手と足を水濡れから守ることはできず、末端は濡れて冷えていた。やはり手袋はテムレスを持っていたほうがいいのかもしれない。
案の定、相方は寒さで震え始めており、暖を取って多少回復したあとは休憩もそこそこに、長居せずにすぐに動くことにした。
この状況で長居をすると、「動きたくなくなる」ことが容易に想像できたので、「動きながら温める」作戦でいくことに。
まぁ作戦もなにも、雁坂小屋は標高2000m程にある小屋なので、仮にここでリタイアして自力下山しようにも骨が折れるのでその選択肢はなし。進む他ない。
この後は奥秩父主脈縦走のハイライトともいえる、百名山エリアを越えていく。次のCPである大弛峠までは16~17km程。
まずはそこまでいこう!と、細切れにした目的地を再度リマインドし、雨降りしきる中、再度出発した。
7/13 9:40 甲武信ヶ岳(スタートから33時間40分経過)
雁坂小屋から破風山などを越えながら標高を500m程上げると、標高2,475mの甲武信ヶ岳に到着する。到着時刻は9:40頃。
あまり記憶にないのだが、この甲武信ヶ岳以降、大幅に相方に後れを取り始めた気がする。
国師ヶ岳を超えた先にある大弛小屋まではおよそ10㎞。甲武信ヶ岳からアップダウンを繰り返しながら200mほど標高を下げたあと、400m程また一気に登る。
そこまで頑張ればあとはCP3の大弛小屋まではもうすぐだ。
さて、いけるのか。
体調不良
甲武信ヶ岳から大弛小屋までは、体調不良が顕著に出始めて、まったくスピードが上がらなかった。というか、それどころか「これぞ亀の歩み!」というレベルにまで歩行速度が極端に落ちた。
一度、あまりにも不甲斐ない自分に嫌気が差し、国師ヶ岳の山頂アプローチで「捨て身のアタック」を 仕掛けたものの、ピークと思って到着したところが”リアルピーク”のかなり手前だったという大失態を犯し、そこで完全に気力体力ともに売り切れ。
体調不良なりに、下りについてはまだまだ人並みに下れることがわかっていたので、「これを登り切ればあとは下るだけ!」という”ご褒美”があったからこその「捨て身のアタック」だったのだが、まさか勘違い。
“世紀の勘違い”である。
精魂尽き果てた後の身も心も空っぽになって打ちひしがれた切ない後ろ姿は容易に想像がつくだろう。
リアルピークに命からがら到着したときには、相方に大幅に遅れを取っていることはわかってはいたものの、しんどすぎて15分程山頂で休息。
目を瞑り脳を休ませ、深呼吸を繰り返し呼吸を整えた。この時すでに熱っぽかったのでレインを脱ぎ体温も調節。目覚めてからは、補給をいつもより多めに摂った。
なんとか気持ちをセットし直し、CP3の大弛小屋への下りへと入っていった。
7/14 14:40 CP3 大弛小屋到着(スタートから38時間40分経過)
大弛小屋が近づいてくると、木段が長く設置されていた。
「人工物」に異常な安心感と無常の喜びを感じながら、フラフラしながら木段を下っていたのだが、一度不注意で濡れた木段に足を滑らせ、5段ぐらい一人で滑り落ちた。
泣きっ面にハチ。ケツが痛い。
大弛小屋には14:40頃に到着。相方に送れること20分以上。だいぶ待たせた。相方はこの小屋で食べれるカレー(有料)をすでに食べ終わっていた。
カレーが出てくるまでの間、小屋内のテーブルに突っ伏してしばし寝た。山小屋で食べる食事はなんでもおいしいのだが、この時のカレーは格別だったのは言うまでもない。
ちなみにこの時の僕の気持ちは、「ここでもうリタイアでもいいかな」と思っていた。十分頑張ったでしょ、と。
体調不良のまま進んでもあんまりいいことはないし。というか、普通に体調がよろしくなくて、つらい。
でも… 行くしかない…
関門アウトしたわけじゃないし、体はしんどいけどまだいけなくはない。このレベルの体調不良は、粘っていればいずれ回復に向かうことも経験上知っている。
…よし、行けるところまでいこう。
ロングレースはこんな感情の振れの繰り返しだ。
大弛小屋でたっぷり休み、いざ、出発。上の写真の覇気のなさはさておき、ともかく本日のビバーク地点である富士見平小屋へ向かおう。
ちなみに大弛小屋以降の歩みはこんな感じ。
これはなかなか…笑。よく頑張ったぞ、オレ。
ちなみに大弛小屋で休んでいる時、「富士見平小屋には遅くとも20時ぐらいに着けるかね~」などと話していた気がするのだが、先にお伝えしておくと、富士見平小屋に到着したのは22時過ぎ。
金峰山以降は試走をしていなかった区間で、且つ 日が沈んで状況が把握しづらいことも重なり大日岩以降の破線ルートで大ロストをかました(ほぼ遭難)。
体調云々ではなく、またしても「リタイア」の文字が脳裏をよぎったが、暗闇の中に見えたヘッデンの灯りが僕たち二人を救ってくれた。詳細は省くが、まさに救世主。
この時この人に会っていなければ、僕たちの分水嶺チャレンジは間違いなくここで終わっていただろう。
心から感謝である。
ちなみに、自分としては、大弛小屋から「4時間ぐらい」で到着する想定で気持ちと体を再セットしてここまでなんとか進んできていたので、その想定時間を超えてからは正直かなりしんどかった。
まだ着かない… まだ着かない…
ロストによって気持ちが焦ったからか体温も上昇し微熱が悪化。冷や汗やら雨で寒い気もするのだけど、体はなんだか火照っている。顔と頭が熱い。明らかな体調不良時の体の状態だ。
ロストから復帰し、進むべき方向がわかってからも非常に長く感じた。
一度、八丁平のところで「富士見平小屋 ○○分」と書かれた標識があるところに出たときに、その残り時間をみて(確か60分だか70分)、これは自分は休まないともたないな、と判断。
そのまま休憩なしで進もうとする救世主と相方をよそに、「ちょっと休んでから行くので先行ってください」と申し出た。
その地点から富士見平小屋までは破線ルートになっており道がわかりづらいのだが、まぁなんとかなるだろう。マイペースで歩いていって、小屋で合流できればいいや。そんな風に思っていた。
ところが破線ルートを甘くみてはいけなかった。進んで数分でものの見事にロストし、元いた地点まで引き返す、ということを何度か繰り返した。
すると、なにやら遠くから僕を呼ぶ声が(笑)
僕の「ちょっと休んでからいきます」という言葉に対して、ちょっと休むけどすぐに追い付きます、といった認識をしてくれたのだろうか。一向に追い付いてこない僕に不安を感じ、独りにさせるべきではないと判断してくれたのかもしれない。
僕としては、合流しても一緒に走っていけるほど体調が良くないので、一人でボチボチと進もうと思っていたのだが、合流して進んでいくうちに「合流してよかった」と安堵した。
なぜならば、破線ルートを侮るべからず、「え、ここルートなの?」というところもいくつか進んでいった。
あのまま一人で進んでいたら、ロストして普通に遭難するか、僕の現状スキルでは、ルート確認に慎重にならざるを得なくて、富士見平小屋まで辿り着けたとしても、確実に60分どころじゃ済まなかった気がする。
やはり今回の分水嶺の踏破は、「感謝」の一言に尽きる。
7/14 22:00 富士見平小屋到着(ビバーク2回目)(スタートから46時間経過)
そんなこんなで、なんとか富士見平小屋に到着。
文字通り「首の皮一枚繋がった」。長い1日だった。
ようやく安息の地に到着した安堵感とともに現れたのは、またしても「リタイア」という文字。しかも、それはこれまでよりも現実味を帯びて目の前にぶら下がっていた。
もうさすがに無理だ…
いや、ほんとにこの体調でよくここまで頑張ったよ…
ここでリタイアしよう…
この時、僕の気持ちはネガティブな方向に完全に傾いていたが、さすがにその場で「リタイアします」とも言えず、「一旦寝てから、様子を見て決めよう」となり、ツェルトの設営に入った。
体調不良だとツェルトの設営もつらい。雨がそれに追い打ちをかける。
ちなみにチェックポイントのスタッフさんにも言われたのだが、このような状態(=体調不良)の時は、回復のためにも寝る前に食事をしっかり摂るべきなのだが、そんな気力も起きず何も食べずに泥のように眠った。
こうして長い長い2日目が終わった。
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