レースから1ヶ月半経過しましたw
そろそろ終わらせておかないとレポが完結しないままお蔵入りしてしまいそうなのでw、今回は一気にフィニッシュまでいきます。
前回のレポでは、スタートからF4精進湖(73.1km地点)まででした。今回はそれ以降の残り約90km。…ってまだ半分きてないじゃん!w
行程の全体感がわかるように、前回のレポでも載せた「計画/実績/計画比」の表を冒頭載せておきます。今回はこの表の「F5以降」。
もう73kmも走ってきてるのに、ここからあと90kmって、やっぱり「マイル」って長いわな。
ということで、感動の?フィニッシュまでお付き合いの程、よろしくお願い申し上げます。
▼レポ第1弾(F4精進湖まで)はこちら
【F4】精進湖(73.1km)〜 【F5】富士急ハイランド(96.4km)
精進湖エイドに到着したのはAM2:45。精進湖はサポートエイドだ。
サポのWさんが、僕が欲するであろうものを考えて準備してくれた補給ラインナップが目の前に並ぶ。
僕が相方のサポートをしたときは、基本相方が「オーダーしてきたもの」以外は準備なんてしなかったけど、Wさんは「きっとこんなものも食べたくなるはず」と考えてくれて、毎回いろいろと準備してくれる。できるわ。自分とは大違いw
全部食べたい!…けど、どれもこれもつまみ食いしかできないのが申し訳ないw
比較的暖かい夜だったが、停滞しているとさすがに少し冷えてくる。筋肉が固まる前に出発しようという思いとは裏腹に、トイレも含め、40分も滞在w
サポートエイドは居心地がよくてついつい長居してしまう。あかん、さすがにそろそろ行こう。
次のエイド「F5富士急ハイランド」までは約23km。スタート〜F1富士宮までと並んで長い区間距離だが、区間距離が長い場合は、だいたいロードの割合も多い。この区間も然りだ。恐れることはない。
エイドを出てからしばらく(5kmぐらい)は、富士五湖ウルトラマラソンのコースを一部走る。
富士五胡ウルトラには過去2回出ていて、昨年も走っているので(レポはこちら)、だいたいどんな感じかはわかっているが、ここにきての単調なロードは、正直「ダルい」w
そして、富士五湖ウルトラとの決定的な違いは、時間帯が「夜」だということ。夜というか「夜中」。夜中というか、もはや「夜明け前」。つまり、「眠くなる時間帯」だということ。
ここまですでに12時間以上行動してきている状態で、夜明け前に、淡々と、ちょっと登り基調のロードを走るのはなかなかしんどいのはいうまでもない。いろんな意味で、なおさらダルい(つらい)。
ちなみに精進湖エイドでは、眠気に備えて当然カフェインを多めに摂取はしてきたが、眠気の前にまず腹痛が発生。僕の場合、エイド出発直後はエイドで飲み食いする分、高確率で腹痛になる。
ロード序盤はそんな事情もあってなかなかリズムに乗れず。
ただ、このロードを全歩きするなんてのは言語道断なので、お腹痛いなりにぼちぼち走り、やがてぼちぼちリズムを掴み、腹痛が治ってからは、止まらずにロードを走り切った。
幸いにもカフェインが効いたのか、心配していた「強い眠気」はこなかった。えーと、ここではw(後にやられる)。
↓はロード上にあった気温表示板。ご覧の通り11℃。この時期のこのエリアでは珍しいほど暖かい。
撮影時刻をみたらAM4時頃だったが、この時間帯で10°以上あったのはほんとに助かった。寒いとメンタル的に萎えるし、体が冷えると眠気が増すからね。(睡眠時に体温が下がるのとたぶん一緒)
序盤のロードを終えてからは、足和田山(1354m)なんかを登ったのだが、どんな感じだったかは記憶になしw
とりあえず、夜が明けてくるにつれて、鳥たちのさえずりが聞こえてきたのはよく覚えている。山の中で迎える、あの「新たな一日が始まる感」は何度経験しても、すごく清々しくて、ものすごいパワーをもらえる素敵な時間だ。
そんなこんなで長い夜を超えて無事に朝を迎えながら、F5富士急ハイランドに早朝7時前に到着。ほぼ計画通りの時刻にIN。
<F5:富士急ハイランド>
【距離】96.4km
【到着時刻】AM6:50頃
【経過時間】16時間14分
【計画比】+2分(計画では16時間16分想定)
【エイド滞在】27分
「計画通り」という結果が示すように、体感的にもここまではとても順調で「まだまだ元気」だった。(…そう!「だった」だw)
ここまでは、怪我なしマメなし靴擦れなし股擦れなし胃腸トラブルなし眠気なsh…多少あったような気もしたけど、致命的なレベルはなし。至って快調、万事順調。
エイド滞在は27分。相変わらず長い。これはちょっと今後の課題。
まだまだ元気な様子で、富士急ハイランドをあとにする。
【F5】富士急ハイランド(96.4km)〜 【F6】忍野(112.4km)
F5富士急ハイランドからF6忍野まではこんな感じ。
ここの区間で特筆すべきは「小倉山」という山を越えていくことw(このコースマップのF9の左側にある小さな山が小倉山/標高978m)
ちなみに、特筆すべきとかいっても、小倉山になにか思い入れがあるわけでもなく、むしろ「こんな小さな山、わざわざ登らせるなよ」という煙たがられる対象。きっとみんなもそう思っていたに違いない。やめて、僕をそんなに責めないで。
そんな、かわいそうな小倉山を通過し、今度は忍野村に降りる。F6忍野には9:45に到着。
<F6:忍野>
【距離】112.4km
【到着時刻】AM9:45頃
【経過時間】19時間09分
【計画比】+7分(計画では19時間01分想定)
【エイド滞在】27分
忍野といえば、2019年のUTMF初挑戦のときの僕たち(僕&相方)の終着点となった場所。
去年相方がここを越えたときも感慨深かったけど、今回自分がここを通過したときも、やっぱり感慨深いものがあった。
「ようやくまたここまできたな」って。
2019年に不意に絶たれた旅の続きが、4年越しでようやく再開だ。再スタートな気がして、ちょっと元気が出る。
ちなみに、F5富士急を出たあとぐらい(100km過ぎぐらい)から右膝外側に痛みが発生していた。序盤から違和感はあったのだが、徐々に痛みが増してきていて、忍野あたりでは若干びっこ気味。
致命的な痛みではないが、ここから先、庇いながらの走りを余儀なくされる。
残りの距離を考えるとまだまだ先は長いので不安だけど、メンタル的には「そりゃ、112kmも走ってきたら、膝の一個や二個、痛くもなるよね。」ぐらいの感じ。なんてことはない。
とにもかくにも、ここから先は僕にとっての「UTMF新世界」のはじまりだ。一歩一歩、2019年の旅の続きを更新していこう。
【F6】忍野(112.4km)〜【F7】山中湖きらら(124.7km)
忍野エイドを出ると、しばらくは田園地帯の畦道?を走る。
エイド直後は体も冷えて固まっているので、膝の痛みも大きめに出るが、体を動かし続けていると徐々に痛みも緩和してくる。痛いとかいっても致命傷じゃなければそんなもんだ。たいしたことない。
さっきから「たいしたことない」とか「そんなもん」とか「〜〜な気がする」とか、そんな言葉を使っているが、つまりこれは、「常にポジティブマインドを心掛ける」ということ。
ウルトラディスタンスでは大事なマインドだ。
この区間、膝の痛みとはそんな感じで「マイルド」にお付き合いしていたのだが、ここにきて「ワイルド」に眠気が到来w
大平山(1,295m)というとても眺望の良い山を通過するのだが、そこまでの登りが眠すぎて、「これはちょっともう(眠気が)無理」と、大平山の少し手前にあった日当たりの良い少し開けた草の上で一眠りすることを決意。
この日はちょうど自衛隊の訓練かなにかで、自衛隊員の方々もその場所にいたのだけど、そんなことはお構いなし。
体育座りとかではなく、派手に体を伸ばして、しばし死んだように仮眠。
10分ぐらいは寝てたと思う。むくっと起きてぼーっとしていると、まだその場にいた自衛隊員の方から、「体調大丈夫ですか?水分足りてますか?」とめちゃくちゃ心配されるw
「あ、大丈夫です、眠いだけです。」ww
この仮眠で完全に眠気が覚めたかというとそんなことはなく、ダラダラと眠い時間帯はその後も続いたが、そんな一幕もありながら、計画比では大幅に遅れをとることもなく、+12分程度でF7山中湖きららに到着。
ふぅー、順調順調(…?)
<F7:山中湖きらら>
【距離】124.7km
【到着時刻】昼12:10頃
【経過時間】21時間41分
【計画比】+12分(計画では21時間29分想定)
【エイド滞在】47分
きららは最後のサポートエイドだ。いうなれば「最後のオアシス」。
ここは広々とした空間で、サポートエリアも地面が芝生でフカフカ気持ちよく、写真の通り天気もよくて、オアシス感たっぷり。
心地良すぎてここでの滞在はなんと47分!
もともと長めに取ろうとは思っていたエイドだけど、さすがに居すぎたw 小学校だったら授業1コマ終わってる!
補給もたんまり摂り、ウェアとキャップも白→黄色へ入れ替えて、気分もリフレッシュ。
右膝の痛みに対しては、このタイミングで貼って効くのかどうか微妙だけど、お守り用にテーピング。
昔から「アシンメトリーはオシャレ!」と思っているので右脚だけ。もはや、僕の中ではテーピングは「ファッション感覚」が強めなので、わざわざ黄色とオレンジの二色遣いにw
ちなみにこのテーピング、きららを出発して5分で端が剥がれてきて、その後5分粘ったけど、これは面倒だな…と速攻で剥がすハメにw
テーピングはスタート前(つまり、汗をかく前)に貼っておかないと、粘着力が発揮できずにダメなんだな。なんか前にもそんな経験をした気がするけど、まぁなんとも成長していないこと。てへぺろ。
【F7】山中湖きらら(124.7km)〜【F8】二重曲峠(138.2km)
きららから先は、気持ち的にはいよいよ「終盤戦突入!」といった感じになるが、実際はまだまだ先は長い。
ちなみに、試走時に遭遇した謎の植物(↓)が、レースまでにどれだけ成長しているかを確認することを今回一つの楽しみにしていたのだけど、たった三週間足らずで見事に成長していた(左が試走時、右がレース時)。疲れている体に鞭打って、低姿勢のポートレート撮影にいそしんだ。
知人にこんな素敵な写真も撮っていただけて、ありがたや。これ見る限りまだまだ元気そうだけど、でもやっぱり疲れているようにも見えるw
さて、二重曲峠までくだるとするか。
<F8:二重曲峠>
【距離】138.2km
【到着時刻】17:15頃
【経過時間】26時間37分
【計画比】+1時間28分(計画では25時間09分想定)
【エイド滞在】たぶん30分ぐらい
二重曲峠の到着は17時15分頃。きららまでは比較的計画通りにきていたのだけど、ここにきて一気にビハインド。
前半の天子山地区間でも大幅に計画から遅れてしまったので、大きな山塊を超える区間については、どうやら計画の精度が甘いようだ。それにしてもだいぶ遅れたな。
エイドは下記の写真の通り、すごく充実。バナナ、ドーナツなどを補給。塩むすびも食べたっけな。忘れた。
そして、二重曲エイドではちょっとした事件が発生。
ザック上部のファスナーが、収納内部の紐に噛んでしまって、動かなくなってしまった。
↓の写真ではほぼ全開状態で噛んでいる状態だが、これ実は壊れたときは逆で、まったく開いていない状態で噛んでしまっていた。つまり、中身にアクセスができない状態。
困ったのは、ここにモバイルバッテリーを入れていたこと。Garminの充電が残り少なかったので、ここからしばらく充電しようと思ってたのに、モバイルバッテリーが取り出せない!
100マイルレースのログが途中で終わるとか絶対イヤw 本気で焦る。
ていうか、モバイルバッテリー以外に、補給食もすぐに補給する分以外は半分以上はここに入れてある。
ログ云々以上にそっちの方が大問題だ。(一つ前の山中湖きららは最後のサポートエイドだったので、そこでフィニッシュまでに必要なすべての補給食を持ってきている)
モバイルバッテリーも補給食も超超重要なので、なんとしてもこじ開けねば…!と5分ぐらいファスナーと奮闘した結果が上の写真である。つまり、余計に傷が広がった(=ほぼ全”閉”だった状態が、一瞬でほぼ全”開”になったw)
晴れてモバイルバッテリーが取り出せたのはいいものの、全開は全開でこれまた厄介なのは言うまでもない。
このまま走ると、きっといろいろ飛び出てくる。これは面倒なことになったな…と途方に暮れたが、不幸中の幸いだったのは、この収納部がかなり深い設計になっていたこと。(パーゴワークスよ、ありがとう)
ザックはメイン気室がかなりパンパンな状態だったので、バランス的には奥の方に詰め込みたくはなかったのだけど、背に腹は変えられず。
これ以上は成す術なしと判断し、「壊れたザック」とともに残りの道のりを進むことを決意する(決意も何もそうするほか選択肢はない)。
【F8】二重曲峠(138.2km)〜【F9】富士吉田(150km)
二重曲峠の先は、いよいよ、UTMF最大の山場である「杓子山」に登る。
この区間はレース3週間前に試走にきていたので、ある程度は頭に入っていたはずなのだけど、なんだかんだ疲れていたのか、杓子山までの偽ピークにまたしても騙され「まだかよ!」と憤るw
ちなみに、杓子山の岩登りは個人的には嫌いではない。どう頑張っても速く登れないので心肺的には楽なのだ。とはいえ疲れてはいるので、人並みに疲弊しつつ、なんとかかんとか無事に杓子山に到着。
登ったあとは下らねばならないが、くだりは膝が痛むので、気持ちを入れ替えるため山頂のベンチで一旦休憩。休憩がてら補給も済ませる。ちょっとのつもりが5分以上は座っていた気がする。やっぱり疲れてるw
この辺りからは、補給食も基本「流し込む」スタイルに。そうしないとなかなか飲み込めないのだ。
スポーツ羊羹もエネモチも、ドリンクとともに胃の中に押し込んだ。ドリンクは、メダリストのグレープ味なので、もはや味なんてめちゃくちゃだが、なんてことはない。生き抜くためには仕方のないことよ。
山頂では皆、鐘を鳴らして記念撮影をしているが、残念ながら富士山は拝めずだったので、僕は特に撮影せず。
さて、最大の山場である杓子山のてっぺんはこれで終わり。さて、下山だ下山。
くだりは案の定膝が痛むので、途中後ろから来た人に「僕、膝痛くて、くだりダメなんで先どうぞ。」と譲ろうとしたら、「あ、僕もです。」とな笑。
結局、そのタイミングでは先に行ってもらったのだが、急斜面をロープをつたりながらほぼ後ろ向きで降りている。俺より重症じゃねーか笑。先に行かせてすまない。途中でまた抜かせてもらった。
そんなこんなで杓子山をくだり切って、最後のエイドF9富士吉田に到着したのは、計画から遅れること2時間後の20:20。
<F9:富士吉田>
【距離】150.0km
【到着時刻】20:20頃
【経過時間】29時間42分
【計画比】+1時間56分(計画では27時間45分想定)
【エイド滞在】26分
富士吉田エイドでは、お楽しみの富士吉田うどん。そんなに美味しくはなかったのだけどw、とりあえず沁みる。ジェルや行動食ばかり食べていると、こういう”食事”はなんでも沁みる。
富士吉田エイドを出ると、まさかのサポートのWさんと相方が。(富士吉田エイドはサポートエイドではないので本来いるはずはないのだけど)
で、撮られたのがこれ。明らかに疲れてるw
あと残り15kmちょいだ。がんばれ、俺。
【F9】富士吉田(150km)〜【FIN】富士急ハイランド(164.7km)
最後のエイドを出てしばらく富士吉田の街中を進んだ先に待っているのは、ラスボス「霜山」。
この登り(黄枠部分)がなかなか長い。そして意外と斜度がある。とにかく単調な登りでめちゃくちゃ眠くなるのだ。
ちなみに、霜山は初めてではない。どんな道かはそれなりに記憶がある(登る度に毎回眠くなる「魔の道」の記憶…w)。
もちろんフレッシュな状態で登れば特に問題はないのだけど、150kmを超えて二晩目に突入している体には堪える。
ここで眠くなるのはわかっていたので、霜山に差し掛かるまでにもちろんカフェインを投入していたのだが、残念ながら、警戒していた「強烈な睡魔」に霜山の登りで襲われた。
余程フラフラしていたのか、まだまだ元気なKAI(=距離の短いカテゴリー)の選手が、抜きがてらにやたらと「頑張りましょう!」「あと少しです!」などと励ましてくれるw
声を掛けずにはいられないほど、側からみて相当ヤバかったのだと思う。
このレベルの睡魔になると、経験上だいたい「幻覚」を見始めるのだけど、今回それはなかった。ただ、なんだか「フワフワ」していたのは覚えている。
肘に手をついたり、木に寄たれ掛かったりして、ほんのわずかな”仮眠”を繰り返しながら、一歩一歩何とか足を前に進めた。
霜山の登りも7〜8割ぐらいまで来たところでようやくカフェインが効いてきたのか(おせーよw)、急に頭が冴えてきて視界もクリアになってきたではないか。
そこから最後山頂までは一気にペースが上がって、いまだに眠気に襲われている選手に「がんばりましょう!もう少しですよ!」と今度は声を掛けながらw、ガシガシ登った。
いずれにしてもやっぱり霜山の眠気対策用には、カフェイン200mg含有の最恐ジェル「メイタン」を持ってきておくべきだったか。
霜山を登り切ると、いよいよフィニッシュまで”本当の”カウントダウン開始。
ここまできたら、もうゴールは確実だ。嬉しい。
霜山のくだりでは、生気を取り戻した選手たちwが、いつのまにかパックになって10人ぐらいになっていた。
途中までは僕も気持ちよくその流れに乗っていたのだが、膝が痛いのに加えて、なぜだか腹筋も痛くて(あとから気づいたけど、レース中に腹筋が筋肉痛になっていた模様)、途中で集団から抜けて、単独で気ままに走ることを選択。
もうここまできたら順位が多少上下しようが関係ないし、あとはフィニッシュまでの残りの道のりを自分のペースで走りたい。真っ暗な山の中をヘッドライトひとつ、前後に誰もいない状況で、疲れた体をリラックスさせながら、気ままなペースで走った。なんだか幸せだったな。
霜山を下山してロードに出てからがこれまたまぁまぁ長かったけど、歩かずに走った。160kmも来たのに、走れるもんだな。人間ってすげー。俺ってすげー。
ちなみに、人間とはなんとも卑しい生き物で、フィニッシュが近づいてくると「どんな感じでフィニッシュしてやろうか。ガッツポーズ?笑顔?でもやっぱり涙とか流したほうが雰囲気あるかな?」とか、そんなしょーもないことに頭を巡らすものw 僕も然り。
結局はまぁ、僕はそういうキャラクターでもないので(演じるの苦手)、自然体でフィニッシュしよう、となり妄想タイムにケリをつける。
さて、いよいよフィニッシュ会場が見えてきた。
会場入り口手前でサポートのWさんと相方が迎えてくれる。自然と笑顔になる。
会場に入ると、見ず知らずの人たちからの拍手と「おかえり〜お疲れ様〜」の労いの言葉とハイタッチ。
帰ってきたぜ。
「100マイルのフィニッシュなら、さすがに自然と涙が溢れてくるかな?」とか思っていたのだけど、全然そんなことはなくw。
でも、「ようやくここまで辿り着いた」「無事に帰ってきた」という感慨深さはあった。この達成感は格別だ。
最後は笑顔でフィニッシュ。
まとめ
1本目のレポートをレース翌週にサクッと書いてから、あっという間に時が経ち、こんな時期まで間延びしてしまいましたが、これにてようやく完結です。無事に完結できてよかったよかったw
もはや誰のためでもなく、自分のために書きました。
このレポは、あとあと自分で読み返したときに、「あ〜、素敵で幸せな時間だったんだな」ということを思い出すためのものです。
なので、別に他の人には読まれなくたっていいのです。(ってここを読んでくれてる人は最後まで読んでくれた人か。物好きですね〜笑。でも、ありがとうございます。)
自分自身が過去のいろんな経験の中で、その時々においてどんな感情で生きていたのか、なんてほとんど思い出せないので、そういう意味でこのレポートには(山猿日誌には)、僕の細かな感情だったり言葉だったりがたくさん詰まっています。
自分でいうのも恥ずかしいですが、「宝物」です。あとで読み返すと、自分のことなのにめっちゃのめり込んで読んでしまいますw
「感情が詰まっている」という意味では、今回のUTMFでいえば、100マイルを走ってみて最後に残っている感情は、(なんだかくさいですが)「感謝」の気持ち。
丸々2日間献身的にサポートしてくれたサポーターのWさんにはもちろん「感謝」だし、一足先に100マイラーになって僕にも挑戦せざるを得ない状況にしてくれた相方にも「感謝」だし、運営やボランティアの方々にも「感謝」だし、遠くでストーリーズやGPSを追っかけて応援してくれてた人たちにも「感謝」だし、とにかく「感謝しまくり」な100マイルでした。
人間なんて所詮、傲慢で強欲で浅はかで自己中だから、気づくと大事なものが見えなくなってしまう生き物だと思ってます。
加えて、僕という人間は熱いようで冷めているところも多々あるのでw、「感謝」という感情すら、時が経つといつの間にか忘れてしまいます。
でも、やっぱりこれは忘れちゃいけない大切な感情だよなと、歳を重ねるにつれて、強く感じます。
そんなことに気付かせてくれた100マイルという機会に、そしてUTMFという舞台に、やっぱり「感謝」です。
改めて、みんなに、
ありがとうございます。心から。
ぐちゃぐちゃになったビブゼッケンに刻まれたシワや汚れが、なんだか、積み上げてきたものが滲み出る「年輪」みたいに思えて、とにかく愛おしいです。
一歩一歩、自分の足(とみんなの支え)で100マイルを進んできた、これが証です。
これからもまた100マイルレースには挑戦すると思いますが、僕の初めての100マイルは、このUTMF2023。このゼッケンは宝物にします。
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